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第1 立法趣旨について
1. 控訴人は、健保法に根拠条文が存在しないことから、立法趣旨を根拠として挙げ、健保法の立法趣旨は、混合診療に対して保険給付しない趣旨であると論ずる。
しかし保険金を毎月支払っている国民には、当然に保険給付を受ける権利があり、これは国家の裁量により恣意的に奪えるものではない。
従って、療養の給付と自由診療を並行して受診した場合に、療養の給付につき保険給付を受けられる国民の権利を奪うためには、明文の根拠のあることが不可欠であり、立法趣旨を考察するまでもなく、控訴人の主張は直ちに排斥されるべきである。
もっとも、控訴人の主張は、委任立法の本質を無視し、健保法の立法趣旨を都合良く曲解した産物にすぎないため、一応この点につき指摘する。
2. 行政立法である規則から法律を解釈することの不当性
(1) 控訴人は「療担規則18条をまず検討し、その趣旨から健保法を解釈すべきである」とし、同規則からすれば、健保法の立法趣旨が、不必要、不合理な診療を禁止し、国民の身体・健康の保護を図ることにあると論ずる。
(2) しかし、規則は、法律の委任を受けて行政機関が制定する行政立法であり、規則が法律の委任の趣旨を逸脱することは許されない。
憲法73条が行政への委任を認めたのは、委任した事項が高度に専門的・技術的性格を有するために、法律により細部まで規定することが相当でないからである。
換言すれば、委任立法は、行政の硬直化を防ぐための技術的要請により国会中心立法の例外として認められたものである。
行政権に対して、国会を超越する立法権を与えたものでは断じてない。
(3) したがって、行政機関の定立した規則が、国会の制定した法律を規律することは絶対に許されないのである。
規則は、法律に照らして、法律の委任の趣旨が正しく反映されているかを常に検証されるべきものである。
規則を拠り所として立法趣旨を決することは、規則による法解釈を肯定する本末転倒な議論であって、許されるものではない。
控訴人の立論は国会を唯一の立法機関と定めた憲法の原則(41条)を無視した暴論である。
3. 療担規則18条は混合診療禁止規範としての実質を有していないこと
(1) 控訴人は、療担規則18条が混合診療を禁止する趣旨であると論ずるが、同条は禁止規範としては規定文言が不明確であり、また国民の生命・身体の安全を確保する目的からは規定の仕方、条文の位置が不合理であって、混合診療を規制する規範としての実質を有していない(甲第1号証)。
以下に、具体的に述べる。
(2) 規定文言が漠然としている
ア 同条は、「保険医は、特殊な療法又は新しい療法等については、厚生労働大臣の定めるもののほか行ってはならない。」と定める。
ここで、「厚生労働大臣の定めるもの」以下の部分の意味は明白であるが、「特殊な療法又は新しい療法等」が何を指すのか判然としない。
イ 控訴人によれば、同条に違反した保険医は保険医の取消し等の処分をうけるとのことであるが、同条は構成要件があまりに漠然としており、そもそも禁止規範としての実質をそなえていないのである。
(3) 同条は、保険医の自由診療を一部容認していること
ア 同条によれば、保険医は、「特殊ではないし、新しくもない、保険収載さ
れていない療法」を施すことが可能であるが、その場合、その療法以外の部分は保険給付の対象になると解さざるを得ないが、立法者はこれで自由診療を規制することを意図して起草したといえるのであろうか、また国民の安全を守れると考えたのであろうか。
イ 起草者が、真に自由診療を規制して国民の生命身体を保護しようと考えて同条を起草したとすれば、端的に「厚生労働大臣の定める療法以外はすべて認めない」、という断固たる規定を置くべきところ、何故かこのような規定を避けている。
しかも「特殊な療法又は新しい療法等については」という文言を付加することにより、本条の効果を敢えて減殺したばかりか、自由診療が一定の場合には許されることまで、明確に規定してしまっている。
ウ このように、本条の規定は、控訴人主張を基礎づけるには、あまりにおそまつと言わざるを得ず、「国民の生命身体の安全確保」、「自由診療の禁止」という重責を担うに足る資格はない。
立法者が、極めて重大な使命をこの短い条文ひとつに託したなどとは、およそ考えられないのである。
(4) 本条が同規則の中で不自然な位置に置かれていること
ア 同規則は、第一章において保健医療機関の療養担当につき規定した
後、第二章において保険医の診療方針について定める。控訴人が根拠
として指摘した第18条は第二章に置かれている。
イ 第1章の冒頭、1条は、保険医療機関の療養の給付の担当の範囲と
して、療養の給付の内容を具体的に規定し、保健医療機関としてなすべき業務内容の客観的範囲を確定している。
そのあと、2条以下において、行為規範というべき担当方針、適正手続きなど、保険医療機関として尽くすべき責任が定められている。
すなわち、機関として客観的行為として何ができるかを画する規定の後に、いかにすべきかを定めた一般的方針の規定を置いているのである。
ウ 第二章の冒頭、第12条は、保険医の診療の一般方針として、適格
な判断に基づき、妥当適切に行うべきことを定める。
続く第13条においては、保険医が診療にあたり、懇切丁寧な診療、
理解しやすい指導を行うよう定めている。
第14、15条は適切な指導を求め、第16条、16条の2は専門外等の
事情における転医等を定め、他の医療機関等からの照会に対し、適切
な対応をするよう求めている。
第17条は、専門外の疾病等につき、みだりに他の施術業者の施術を
受けさせる合意をしないよう定める。
エ 次にこの第18条が置かれているが、第2章の12条から17条の規定はすべて、保険医の、診療における一般的方針を規定しており、保険医がなすべき客観的行為の範囲を画定した規定は存在しない。
オ このことから、次のことが分かる。すなわち療担規則の起草者は、保険医が行うべき客観的行為の範囲は、1条が規定する保険医療機関の療養の給付の範囲によって画されているという前提に立ち、保険医についての規定を定めた第2章には客観的行為の範囲を画する規定を置かなかったのである。
カ 控訴人が主張するように、18条が自由診療を禁止した規定であるとするならば、それは第2章の冒頭に置かれるべきであった。少なくとも、1条に付加する形で置かれるべきであった。
なぜなら、自由診療を禁止する規定は、保険医の客観的行為の範囲を画するものにほかならず、保険医療機関の客観的行為の範囲を第1章の冒頭において規定したことからすれば、まず第2章の冒頭に置かれるか、さもなければ、保険医療機関の客観的行為に付加する形で1条に置かれるべきであったと言えるからである。
18条が、保険医がなしうる行為を限定した規定であるとすれば、なぜそのような規定が第2章の冒頭ではなく、一般的注意を定めた条文の中に置かれたのか、不自然、不可解と言わざるを得ない。
キ 18条が自由診療を禁止した規定であるという控訴人の主張は、療担規則の規定の仕方、条文の配置、特に、第2章が、第1章と異なり保険医の一般方針の規定から始まり、18条がその中の一つとして置かれていることを、完全に看過したものである。
4. 健保法からは控訴人主張の立法趣旨を読み取れないこと
(1) 控訴人は、健保法1条および2条をもって、上記(2.(1))の立法趣旨を「容易に看取しうる」と述べるが、はたしてそうであろうか。
なるほど控訴人の主張するように、1条は、「この法律(健保法)は、・・・国民生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする。」と定める。
また2条は、「健康保険制度については、・・・給付の内容及び費用の負担の適正化並びに国民が受ける医療の質の向上を総合的に図りつつ、実施されなければならない。」と定めている。
(2) しかしこのことから、国民の身体生命の安全を確保することが本法の趣旨であると断ずることは不可能である。
同法の使命は、診療を受けるにあたり国民の経済的負担を軽減すること、および適正公平な保険制度を持続的に運用することにある。
同法の存在により、国民が診療を受けやすくなることは事実であるが、そのことと、診療の質の向上や、危険性の高い診療の排除を実現することとは別次元の問題である。
同法の目的は、国民の身体生命の安全を直接に保護するものではないし、現に保護することはしていない。以下にその根拠を示す。
(3) 自由診療は健保法の枠外であり規制されていないこと
ア 控訴人は、「自由な診療を許せば、効果に疑問のある治療が行われたり、場合によっては生命や身体に有害な治療までが行われ、国民の生命身体の安全すら危険を及ぼしかねない。」(9ページの3)、と主張する。
自由な診療を許せば、有害な治療が行われる危険がある、との前提に立ち、自由診療を許さないことが健保法の使命であるなら、なぜ健保法の条文の中に自由診療を制限する規定が存在しないのか?
イ 控訴人主張のとおり、自由診療の弊害が看過しえないほど大きく、健保法がその弊害を除去する使命を負っているのであれば、健保法72条1項の規定としては、端的に「保健医療機関において診療に従事する保険医は、厚生労働省令で定めるもののほか行ってはならない」と定め、自由診療を明確に禁止した上で、禁止される診療等の詳細を規則に委任すべきである。
実際には、健保法72条1項には、「保険医は、・・・厚生労働省令で定めるところにより、健康保険の診療・・に当たらなければならない。」、とのみ規定され、肝心の禁止規定は省令にしか置かれていない。 健保法のどこを読んでも、禁止規定の設置を行政機関に委任した規定はないのである。
(4) 健保法は、保険医療機関・保険医のみを対象としていること
健保法の関連条文を拾っていけば、同法が自由診療を制限しているものではないことは、さらに明らかとなる。
ア 同法63条によれば、保健の対象となる診療(療養の給付63条1項)を行うことができるのは、保険医療機関(同項1号)等に限定されているが、申請して保険医療機関の指定を受けるかどうかは、医療機関の自由な判断に委ねられており、申請を強制する規定はない。指定を受けないことによる不利益もない。また、控訴人が説明しているとおり、保険医療機関の指定を受けた後で、申請により指定から外れることも自由である。
イ 厚生労働省令で定めるところに従って健康保険の診療にあたることが義務付けられている医師(72条1項)は、保険医療機関等において診療に従事する保険医のみであり、保健医療機関等に属しない医師は、この省令には拘束されない。
ウ 申請して保健医療機関の指定を受けた医療機関は、診療に従事する保険医に、省令で定める診療(72条1項参照)にあたらせることが要求されるが、指定を受けていない機関には、このような規制は存しない。
エ 以上からいえることは、同法は、保険医療機関の指定を受けていない病院(およびそこで働く医師)に関しては何の規律もしていない、法の枠外に置いているということである。 換言すれば、指定外機関の診療行為に対しては無関心という態度を取っているのである。
オ 自由診療に危険性があるというなら、なぜ全ての診療機関に保険医療機関となることを義務付け、省令に定められた安全性のある医療行為以外行えないとする規定を置いていないのか?
カ 控訴人主張のとおり、自由診療を許すことにより有害な治療が横行し
国民の生命身体に対する危険が生ずるおそれがあるならば、国家は医療機関の営業の自由、国民の医療選択の自由などに優先して、国民の安全確保のために躊躇なく危険防止のための規制を施さねばならない。
ところが、同法が大正15年7月に施行されて以降、幾度もの大改正を経てきたにもかかわらず、自由診療を積極的に規制する規定は、ついに置かれていないのである。自由診療は常に健保法の枠外なのである。
「百害あって一利なし」というべき危険な治療も、また海外で広く施され、国内でも導入が期待されている先進的治療も、健保法は等しく自由診療の範疇に置いて、保険の対象外とし、何ら安全性・有効性による区別をしていないのであって、要するに、診療の安全性・有効性には無関心なのである。
このことは、同法は国民の安全確保からは切り離された、別個の機能を担っていることを示すものである。
(5) また、言うまでもないことであるが、自由診療に対して保険の適用がないということと、自由診療を禁止するということとは、全く異なる。
健保法および療担規則の帰結として、多くの自由診療に対して保険給付しない、という結論は導かれるかもしれないが、それが自由診療を規制することには結びつかない。
国家が特定の事業に対し補助金を支給して支援する場合に、支援しない他の事業を潰すことを意図するわけではないし、他の事業が当然に潰れることにもならない。同様に、ある診療を保険給付対象とすれば、国民の利用を促進し、利用者数は増えるであろうが、当然に自由診療を駆逐することにはならないし、駆逐を目的としているともいえないのである。
(6) 他の医療関係法の規定からも、控訴人主張の健保法の趣旨は間違いであること
ア 控訴人は健保法の目的は、国民の生命身体の安全確保にもあるとし、それゆえに混合診療を禁止しているのであると主張する。
しかし、国民の安全や、国民の健康は、他の法律が各々第1条において明文で目的として定めているのに対して、健保法では、どこを探しても、「安全」「健康」という文言すら見当たらない。
以下に、各法律の第1条を比較する。
イ 薬事法第1条は、つぎのように規定する。
「この法律は、医薬品、医薬部外品、化粧品及び医療用具の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、医療上特にその必要性が高い医薬品及び医療用具の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより、保険衛生の向上を図ることを目的とする。」
控訴人が声高に主張する健保法の目的(診療方法の安全性・有効性を確保することにより国民の生命身体の安全を確保すること)は、この薬事法の条文に言い尽くされているのである。
ウ 医師法は、次のように規定する。
医師法第1章1条(医師の任務)は、「医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする。」と定め、続く各章において医師の免許(第2章)、医師国家試験(第3章)、医師の業務(第4章)、医師でないのに医業を行う行為等に対する罰則(第6章)を定めている。
エ 医療法1条は、「医療に関する適切な選択の支援・・・医療の安全を確保・・・病院・診療所等の開設管理・・・これらの施設の整備・・・施設間の機能分担・業務連携を推進すること等により、医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図り、もって国民の健康の保持に寄与することを目的とする。」
オ このように、国民の身体生命の安全はこれらの法律により、手厚く確保されており、健保法が敢えて直接に国民の安全を保護する必要はなく、 また実際、健保法には、直接生命身体の安全を保護しようとした規定は存在しないのである。
カ 健康保険制度はそもそも、個人が医療費を即時に全額支払うのではなく、国民(加入者)が拠出した基金の負担とすることにより、個人の一時的負担を軽減するという、互助互恵の実現を目的とするものであり、特定の診療を受けさせる(特定の診療を助長する)あるいは、特定の診療を受けにくくするという性格のものではないはずである。控訴人の主張には明らかに無理がある。
(7) 健保法において、安全性・有効性が要求される理由
ア 健保法、療担規則が、安全性・有効性のない診療を、保険給付の対象から除外する趣旨であるとしても、これは直接に国民の生命身体の安全を確保するためではない。
イ 保険制度が互助互恵の精神に基づくものである以上、加入者の負担と給付が公平でなければ、保険制度の維持は不可能である。
このため、保険給付の対象となる診療においては、治療効果とコストのバランスがとれているか、多くの患者に適用可能な治療方法か、保険対象とした場合に、将来にわたり保険制度を維持していくことが可能か、といった検討は必要である。
また、制度の前提として、安全性を有する方法であることも必要である。
安全性・有効性を欠く診療に保険金を支払えば、制度に対する不信感、不公平感が生じ、結果として制度の維持が困難となるからである。
ウ 危険な診療、効果のない診療を保険給付対象外とすることは、制度の公平性を維持する前提として当然のことであり、これをもって国民の身体生命の安全を図っているなどとは到底言えまい。
安全性・有効性が要求されるのは、加入者(国民)負担の適正を図り保険制度を適正に維持するための不可欠の前提だからに過ぎないのである。
5.小括
(1) 以上にみたとおり、立法趣旨に関する控訴人の主張は、規則により上位規範である法律の趣旨を導くという、憲法をも無視した奇想天外なものである。
控訴人が根拠とする規則の規定は、保険医が自由診療を行いうる場合があることを規定しており、控訴人の主張は、すでに破綻している。
のみならず、規則条文の置かれた位置からいっても、同条文は、保険医の一般規則を定めたものにすぎず、行いうる行為の範囲を規定したものではない。
また、健保法のどこを読んでも、自由診療の禁止を規則に委任してはいないし、生命身体の安全を直接に保護する趣旨とは読めないのである。
(2) 国民の安全は、他の医療関係諸法により保護されていることは、条文を比較すれば明白であって、立法者は健保法にそのような使命を与えてはいなかったのである。
診療方法の安全性・有効性が要求されていると解したとしても、制度の維持に不可欠な公平性を確保するために要求されたものにすぎないのである。
第2 特定療養費制度創設の趣旨について
(1) 厚生大臣の国会での趣旨説明
控訴人は、混合診療が原則禁止だからこそ、例外としての特定療養費制度が創設される必要があったと論ずるが、果たしてそうであろうか?
本制度を含めた健保法改正の趣旨について、当時の厚生大臣は国会での趣旨説明にあたり、概略次のように述べている(甲第2号証1ページ)。
すなわち、「わが国の医療費は人口の高齢化、医学医術の高度化等により、増加傾向にあるが、経済成長は鈍化しており、国民の負担能力が、増加する医療費に追いつかなくなるおそれがある。また、厳しい国家財政状況下では各医療保険制度間の不均衡を調整することが困難となっている。このような状況に対応し、中長期的観点に立った保険制度改革を行うことは緊要の課題である。今回の改正は、このような情勢を踏まえ、医療保険の基盤を作り、国民が適正な負担で公平によい医療を受けることができるよう、医療費の適正化、保険給付の見直し、負担の公平化を三本柱とした改革を目指したものである」と。
そして、特定療養費制度創設は上記説明中、改革の三本柱の二本目である、保険給付の見直しの一つとして説明されている。
(2) 健保法の改正目的は収支改善にあること
この説明から分るように、要するに改正の目的は、収支の均衡回復にある。
厚生大臣の後に答弁に立った総理大臣も、「今回の改革案は、高齢化社会に備え、中長期の観点に立ちまして、医療費の規模を適正な水準にとどめること、給付と負担の公平を図るということ、これを中心に考えたもの」であると説明している。収支均衡以外の目的は語られていない(甲第2号証2ページ 3段目左)。
改正理由は、厳しい財政と、増加する医療費との調和、この一点であ
る。
すなわち、特定療養費制度創設の目的は、収支の均衡を回復する必要性と、高度先進医療(これは医療費増加の一因である)導入の必要性とを調和させることに尽きている。
高度先進医療を求める患者の要求には応えたいが、これを丸々保険給付の対象としたのでは、保険制度と国家財政が破綻するから、これはできない、部分的補助に止めるしかない、そのための特定療養費制度なのだ、と言っているのである。
特定療養費制度はまさに、特定の病院で診療を受けた者に対してのみ、高度先進医療等の費用を支給することにして国の負担を抑えようとする制度なのであって、原判決はまさに正鵠を射たものといえる。
(3) 局長答弁は、控訴人主張の基礎たりえないこと
ア 控訴人は、本制度の趣旨は、有効性の確認されない診療を許さないという要請と、有効性が確認できる診療を受ける機会を確保する要請との調和であると主張する。
イ しかし、控訴人が根拠とする吉村局長の答弁には、有効性に言及した部分はどこにも見当たらない。
また、控訴人主張に登場する、「療養の給付に類似する部分だけは保険で費用を支給しよう」(控訴理由書25ページ)に対応するのは、局長の「保険診療で見られる部分は保険診療で見る。」(同ページ)であろうと思われるが、これは「保険診療にあたる診療行為には保険制度で対応する」ということであり、今後高度先進医療に関しては、原則、混合診療を認めて費用を支給する趣旨と読めるのである。
ウ また、控訴人主張の中に登場する「療養の給付に類似する部分」という趣旨不明の概念は、局長答弁には表れていないのであり、控訴人主張と局長答弁との整合性が存しないのである。
結局のところ、一連の局長答弁は原則・例外を、どのようにも解釈できる曖昧なものであり、それどころか、本改正により混合診療を認める方向へ原則を転換したと読めるものばかりであって、到底控訴人の論拠たりうるものではない。
エ 控訴人が18ページから25ページにおいて原審を批判する部分は、混合診療が禁止されているという独自の誤った見解に立って、その帰結を述べているだけであり、そもそも議論の出発点が異なる原審に対して、平行線の議論を展開しているにすぎない。
控訴人主張が原審と違うことは理解できるものの、全く原審への批判にはなっていない。
(4) また、27ページで、「原判決が判断したように混合診療が認められているのであれば、何もあえて特定療養制度など創設する必要などなかった」と原審を批判する箇所は、同制度が国家財政の危機を食い止めるための窮余の策であったことを、控訴人が完全に看過したことを示している。
国家財政上、先進医療に対しての、完全な保険制度の適用は困難だったがゆえに、制度を創設すべき必要性が生じたのである。
第3控訴人主張には、数々の欺瞞、論理のすり替えがみられることを指摘しておく
(1) 国民の生活にとり不可欠な保険制度については、真に必要な制度は何かを真摯に論ずべきであり、訴訟に勝てばよいというものではないはずである。
事実を歪曲したり、論理をすり替えたりということは、一般の争訟ならばともかく、このような事件においては許されることではない。控訴人がこのような策を弄することは、国民に対する冒瀆というしかない。
(2) 請願が満場一致で採決されたということについて
控訴人は、請願が満場一致で採択されたことが、混合診療の導入を国
民の代表が否定したものであると主張するが、大きな欺瞞と言わざるを得ない。
混合診療に反対する意見は二つある。
混合診療に反対する意見の一つは、現在自由診療とされている高度先進医療は保険診療に導入されるべきであり、貧富に関係なく、国民誰でもが受診できるようにすべきで、自由診療を保険診療に組み入れないままの状態で混合診療を解禁することは誤りだというものである。
保険診療・自由診療という線引自体を無くし、新たに開発される高度医療を次々保険対象に導入し、誰でも受診できるようにせよという立場である(同号証2ページ上段村山議員の質問、4ページ上段沼川議員の質問)、6ページ上段中林議員の質問)。
この立場は、混合診療が安易に解禁されたならば、今後は高度先進医療を保険対象とせず、自費負担でやれ、ということになる事態を恐れているのである。
これは、控訴人のいう混合診療禁止の趣旨とは正反対である。 控訴人は、もう一方の立場、すなわち混合診療は有害な診療を助長し、国民の身体生命に危険を及ぼしかねないとの理由でこれを原則認めないとの立場である。
これは当然、保険診療・自由診療という線引を堅持することを前提としている。
本採決は、これら二つの立場が結論でのみ一致したにすぎない。
控訴人は、採決をもって、自らの主張が国民全体の支持を得ているかのように主張するが、高度先進医療を保険給付の対象とするのかどうかで、二つの意見は真っ向から対立しているのである。同床異夢の典型例のような採決であったにもかかわらず、どこが特記に価するのか。
国民の真摯な意思は、規制改革会議第2次答申において、正確に表現されている(甲第3号証)。
答申においては、命を救う見地から、混合診療禁止に疑問を呈している。また、原則自由診療禁止とし、例外として許容する現在の方式の原則・例外を転換すべきこと、医療の安全性は混合診療禁止により担保すべきものではなく、別途方策を講ずるべきであること、等を政府に対して論じている。
これこそが、命を守るために何をすべきかを真剣に考えている国民の声である。
控訴人は国民の福祉に奉仕すべき立場にありながら、なぜ真実を隠してでも正当性を主張するのか、控訴人の不遜傲慢な態度こそ、特記に値すると指摘しておく。
(3) LAK治療の有効性・安全性について
ア 控訴人はLAK療法を、アトピー民間療法の例を引き、安全性にも問題があるかのような表現を用いて、危険性をはらむものであることを印象付けようとしている。
しかし、LAK療法は、有効性が確認できなかっただけであって、危険な民間療法と同視すべき共通点は何もない。
LAK療法は、控訴人によれば「少なくとも平成18年3月までは、・・・特定療養費制度に基づき、高度先進医療に認定されていた」、「平成18年4月以降、効果が確認できないとして高度先進医療の認定取り消されたが、同療法以外にも別の活性化自己リンパ球移入療法が保険との併用可能な先進医療として認められ」ていたものであった。
愚にもつかぬアトピー民間療法と比較してどうしようというのか。
イ 控訴理由書2ページ(2)では、LAK療法は、「有効性が確認できないとして、高度先進医療の認定を取り消された」とのことだが、16ページ(3 の1段目)、26ページ2行目では、「有効性が否定されているLAK療法」という記述がある。
確認されていないことと、否定されていることとは、言うまでもなく、全く意味が異なるが、なぜこのように表現を変化させたのか。
ウ また、LAK療法は有効性が確認できなかっただけであるのに、29ページ2行目には、「このように、・・・・安全性や有効性の評価が非常に流動的であり、不必要な診療行為は現実的にも存在する」とされている。
有効性が確認できない場合があるとしても、なぜ安全性の評価までが非常に流動的だと結論づけられるのか、特定療養費制度の対象とされた診療のなかで、安全性が否定されるに至ったものが存在するのか。
有効性が確認されなかったにすぎない療法が、なぜ「不必要な診療行為」と断言できるのか。
高度先進医療専門家会議において、LAK療法は「不必要な診療行為」との判定を受けたのか。
エ 控訴人代理人らは所詮、国民の、人の、命の重さを実感として理解していないのではないか、訴訟に勝つことだけが目的ではないのかと思わざるを得ない。
第4 厚生労働省・日本医師会が混合診療解禁に反対する真意について
1. 厚生労働省が混合診療に反対する趣旨は、実は他にある。
同省からは、実に多数の官僚が、第2の職場として、製薬業界へ天下りし
ている。
混合診療が解禁され、海外で有効性が認められた薬剤や治療方法を、望めば誰でも受けられるようになれば、日本の製薬業界は立ちゆかなくなる。
製薬業界の保護、そして何より、混合診療禁止を維持することで利益を得られる製薬会社が天下りを受け入れつづけること、これが官僚にとり最も大きなメリットなのである。
がん治療に関して海外で用いられている薬品で、日本で承認されていないものは山ほどある。
未承認薬が多数ある理由が、国内製薬会社を保護する点にあることは言うまでもないが、混合診療を認めれば、承認を遅らせて製薬会社の利益を守ってきた従来のシステムに、風穴が空いてしまうのである。
2.日本医師会が混合診療に反対する理由も単純である。
高度先進治療法が導入されるようになれば、それを活用する医師の、技術の巧拙、また、新たな設備を導入する資力の有無が、医師の競争を生み、医師の淘汰が始まることを恐れているのである(甲第4号証6,7枚目(30・31頁))。
今まで、医師が行いうる診療方法は厚労省令により規制され、どこで受診しようが、受ける治療内容は大差のないものであった。
ところが、費用を支払えば、これらの先進療法が受けられるとなれば、これを取り入れるか否かで、医師の評価が左右されることになる。
今まで無風状態だった医師の世界に競争原理がもたらされることを、医師会はおそれているのである。
それでも、患者の立場に立って診療を行う多くの医師が、自由診療を取り入れて、治療にあたっている(同号証 3、4枚目(27・28頁))。
ぬるま湯に慣れきった官僚・医者・製薬会社のための便宜にすぎない混合診療禁止が崩壊することは、国民の要請であり、時代の流れでもある。
以上
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