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平成20年(行コ)第405号 健康保険受給権請求控訴事件
控 訴 人 国
被控訴人 清郷伸人
準 備 書 面(5)
平成20年2月19日
東京高等裁判所第7民事部 御中
被控訴人
清 郷 伸 人
控訴人は、平成19年12月28日、東京高等裁判所に控訴理由書を提出した。被控訴人は1月18日にその副本を受領したが、本書面においてそれへの反論を行う。
1.原判決の本質的内容
原判決は、被控訴人の「保険外治療を受けても保険治療の給付を受給する権利はある」という請求に対し、これを全面的に認めた。その理由は、保険外治療と保険治療を併用するいわゆる混合診療において、保険給付を停止する法的根拠がないからである。一方で混合診療を禁じている医療制度の是非や合理性、違憲性についての判断は保留している。その判断の前提となるべき制度についての法的な明文の規定がないからである。このように法規を厳密に審理した結果、混合診療において保険給付を一切停止する措置は誤っており、違法であるとしたのである。
これが原判決の持つ本質的意味であり、控訴人が控訴を決めた理由書を書くならば、当然その本質的判断への反論すなわち法的根拠、混合診療の禁止規定が具体的に明確に挙げられていなければならない。
2.控訴理由書の根本的欠陥
ところが控訴理由書のどこを読んでも、その法的根拠、禁止規定はまったく挙げられていない。理由書は、健康保険法(以下健保法)や保険医療機関及び保険医療養担当規則(以下療担規則)の立法者意思とか趣旨とか立法の経緯を並べ立て、そこから混合診療を一律に禁ずる制度が演繹的に解釈されるとし、この制度の概要を説明している。そしてこのような論旨を展開して、原判決は誤っていると主張するが、その論旨と主張が本訴訟のような法律に基づく争いに対し、具体的な挙証を欠いており根本的に欠陥であることは明らかである。
控訴人が混合診療を禁ずる法的根拠を明示できないのは、今回が初めてではない。一審の東京地裁でも、裁判長から準備書面について2度も「法律の厳密な条文上の根拠を明示せよ」と書き直しを求められ、3度目の書面で結審し、敗訴している。このことは現在の法規には、混合診療を禁ずる法的根拠が存在しないことを指し示している。
平成18年3月1日、最高裁大法廷は旭川杉尾訴訟上告審で、「国民に義務を課したり、権利を制限するには法律の根拠を要するという原則を厳格に明文化した憲法84条の規定の趣旨は、租税と類似した性質の他の公課にも及ぶ。…強制加入、徴収の国民健康保険料は賦課、徴収の度合いが租税に似ており、同条の趣旨が及ぶ。」との判決を示した。原判決は大法廷が初めて示したこの判断も考慮に入れているが、時代はそのように変わったのである。行政が立法者意思とか趣旨とかを楯に根拠も明示されていない法規を恣意的に解釈して、国民の権利を奪ったり、制限することはもはや許されない。混合診療において健康保険被保険者である患者の保険受給権を剥奪するには、恣意的な解釈の入る余地のない、明確具体的な法的明文規定が必要不可欠なのである。
大法廷判決は法治国家のあるべき姿を指し示したものといえる。すなわちおよそ法治国家において、法の立法者意思とか趣旨とか経緯といった抽象的文言を弄して、行政が自分に都合の良い解釈をすることは誤っている。法は成文化され、明文化されたものが解釈の基礎となるすべてで、それのみが時間がいくら経っても厳然と存在し、判断の拠り所となるものである。
3.控訴理由書への反論
(1)理由書の2頁(2)において、被控訴人が現制度でも保険との併用可能な先進医療を受ける道が開かれていると指摘しているが、一審の準備書面でも述べたように、何の治療をどこで受けるかを選ぶのは患者の当然の権利であり、似たような治療を信頼する主治医を離れて遠隔地で受けるよう国に強制されるいわれはない。この訴訟の利益は被控訴人の適格要件とともに一審判決で保証されたものである。
(2)同頁2において、立法者意思を持ち出し、法解釈に際し最も重要としているが、健保法に関していえば保険医療についてはその指摘は該当する。しかし自由診療については健保法の枠外であり、立法者意思も及ばず、何の規定もなく野放しである。そして両者を併用する混合診療については、保険外併用療養費(旧特定療養費)と名付けたわずかな公認の混合診療に関する規定があるだけである。これだけで自由診療や混合診療に対し、禁止の立法者意思が及ぶとするのは、常軌を逸した牽強付会というべきである。
(3)7頁3において、健保法の趣旨、立法者の意思、立法経緯、制度趣旨・背景をるる述べるとしているが、それほど高らかにそれらを謳うなら、なぜ解釈が混乱せず誰にも明らかな具体的な明文法規を立法化しないのか、不可解といえる。
(4)10頁4において、厚労大臣が定めず許可していない療法が付加併用された場合は、全体として「療養の給付」に当たらないという解釈が述べられている。たしかに自由診療は健保法の療養の給付には当たらないが、保険治療と併用された混合診療の場合、治療全体を一体と見て保険治療分の給付も奪われるとは書かれておらず、そういう解釈は不当である。
専門家も次のように指摘している。「もともと被保険者は保険内治療は保険料の対価として保険でカバーしてもらえる権利がある。特定療養費として定められた場合以外に、保険のきかない治療を受けたのは自由診療であるから、いちいち規定がなくても医療機関と患者の私法上の契約により医療機関にはその支払い請求権があるはずである。そのような私法上の契約をした瞬間に、被保険者は保険診療を受ける権利を失う(保険医療機関は保険負担分を支払ってもらう権利を失う)とするなら、その旨の明文の規定が必要だが、特定療養費の規定だけではそのような重大なことを規定しているとはいえない。」(阿部泰隆中央大学教授・弁護士『対行政の企業法務戦略』224頁、中央経済社)
(5)12頁(3)において、健保法は保険医の自由診療を禁じているのだからその違反行為を前提にした明文規定を置かないのは当然と主張している。これはすなわち控訴人は自由診療を含む混合診療に対する禁止の明文規定も、違反に対する保険給付の停止という罰則の明文規定もないことを自ら認めているということである。
このような違反行為を前提にした明文規定を置かないという考え方は倫理道徳においては通用するであろう。しかしこれはいやしくも法律である。違反を想定しないのであれば刑法はおろかほとんどの法律は無用である。人は違反をするものである。だからこれに対して恣意的でない客観的基準としての法律が必要なのである。それとも医者だけは違反しないというのであろうか。法治国家における法の基本意義をそのようにないがしろにして、理由書は、混合診療についての明文規定がなくても健保法ではその違反性が特定され、罰則も予定されているという考えを主張するが、これは法律的に筋が通るのだろうか。法理を無視した強引な解釈ではなかろうか。
厚労省が保険医は健保法違反をしないから違反を前提にした明文規定はないのが当然といくら声高にいっても、全国のあまねく臨床現場では保険治療が尽きて困窮する重病患者を前に、良心的な医師がコッソリと幅広く混合診療を行っていることは医療機関では公知の事実である。なにしろ日本では世界標準の抗がん剤の約40%が保険に認められず、使えないことになっているのだから。
さらに、保険医は厚労大臣の定めた療法以外行ってはならないとする規定は、厳密にいえば健保法そのものにはない。省令である療担規則に明記されているものである。規則とは国会議員はおろか政府も閣議も厚労大臣さえ関知しない本省課長クラスの立法である。国民の負託を受けた立法者の意思とはかけ離れた所で行政が立法したものである。いくら規則が立法府から委任されたものとはいえ、このような療担規則の規定は立法者に対する行政の越権行為であり、ましてその規定から混合診療の禁止と保険給付の停止という罰則が解釈されるという主張は立法者の意思の偽装に等しいといえる。
(6)18頁から26頁の第5その2と3において、控訴人は旧健保法の特定療養費制度に対する自分の解釈が、立法府によって裏付けられていることを乙第21号証と22号証および23号証を添付して主張している。こんなものを持ち出して何が言えるのかよくわからないが、選挙で選ばれたという、より国民に近い立法府での片言隻語でもって司法を牽制しようというのであろうか。しかし本当に混合診療を禁ずることが立法府の意思ならば、なぜ法規に明文の規定を立てることで、その意思を示さないのか。
(7)28頁6において、控訴人は自由診療の弊害を述べている。そして一審を通じて、自由診療の保険診療に与える悪影響が混合診療を禁ずる唯一の論拠としているが、その悪影響の医学的、科学的証拠はないに等しい。まして旧特定療養費制度の立法事実として不可欠であるはずの当時の多数の証拠は存在しない。弊害の実例として添付された乙第24号証はなにも立証していない。それは医師の介在しない自由診療の弊害というべきで、医師の介在する混合診療にあてはまらない。むしろそれはたった一つの例だが、民間療法の類の自由診療は禁ずべきだという証拠にはなる。したがって医師や医学者による立証がなにもない悪影響説のような論拠は邪推、憶測というほかなく、立法の根拠たりえない。
例えば訪問販売は多くの甚大な被害を生じているが、それを行政が禁ずることはない。国民の自由権を侵害する憲法違反になるからである。訪問販売は外出できない人や相談して買いたい人にはメリットもある。だからいくら悪徳商人が跋扈しても禁止ではなく厳罰化で対応するほかないのである。混合診療もこれと同じである。自由診療の悪影響説を取って混合診療の禁止とその保険給付権の剥奪を行政が行うことは憲法違反である。
(8)30頁から32頁の8において、控訴人は、立法者の意思や立法の経緯を検討する必要がないとの原判決は誤っているというが、すでに述べたように混合診療の禁止もその保険給付の停止も立法化されているとはいえないから、検討しないのは当然である。むしろ検討できないというべきところである。
また31頁では「混合診療の場合には全体が『療養の給付』に該当しないという健保法の解釈があるからこそ、一部の限定した高度先進医療等に限って、そのうちの『療養の給付』類似の部分だけに費用を支給しようという特定療養費制度などの新制度が生まれた」。だから混合診療は全体が保険給付に該当しないというのが健保法の正当な解釈だと主張するが、これは原判決で否定された反対解釈といわれるものである。健保法は混合診療について特定療養費を規定しているだけで特段の規定は行っていない。あくまで個別の診療について保険対象か否かを判断するものである。それが原判決の解釈である。控訴人の解釈は明文の法規定に基づかない恣意的なもので、それは前述の阿部教授の指摘した通りである。
さらに健保法は混合診療においても個別に診療を判断して療養の給付部分には療養の給付を行う仕組みという原判決の明解な解釈に対し、控訴人は健保法では特定療養費の認めた混合診療だけが療養の給付類似の診療部分に費用を支給できるとしている。類似の部分など訳のわからない不明解な概念であるが、被保険者にとっては療養の給付も費用の支給も同じ給付行為であって保険がきくことに変わりはない。同じ行為を違う行為に見せかけることに何の意味があるのか。いずれにしても健保法は個別の診療ごとに保険給付に該当するか否か、自由診療か保険診療かを判断する仕組みと解されるというのが原判決の核心部分であり、両者を併用することで不可分一体の新たな診療実体が生まれるという控訴人の主張は退けられている。控訴人が理由書で述べている特定療養費制度の創設によって、混合診療は全体が保険給付の対象にならなくなったという論理は根拠のないものである。
4.結語
以上の通り、控訴人の主張は原判決の判断を覆すいかなる法的根拠も明示できず、ただ法規に対する恣意的な解釈を述べているだけであるから、高等裁判所においては原判決を維持し、速やかに控訴を棄却されることを求める。
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