|
1.マス・メディアや国会議員に訴える
混合診療解禁と保険医療拡大は別問題
週刊朝日への返信メールにあるように、この前後、私は報道メディア各社や自民党医療政策研究会幹部の河野太郎議員に混合診療問題を訴えるメールや郵便を送った。「10月7日号週刊朝日の記事によって、神奈川県立がんセンターのLAK治療は廃止措置に追い込まれました。私はその治療を受けていた患者の一人です。週刊朝日は皮相な、的はずれの記事で私たち患者やがんセンターに深刻な被害をもたらしたのですが、今回のケースの本質は現在の混合診療禁止制度にあります。
混合診療とは健康保険の利く医療と保険の利かない未承認の薬や治療を一緒に受けることを指し、混合診療禁止制度とは、未承認の医療を一つでも受けたら保険の利く他の医療もすべて非保険になるという制度です。外国で承認された効果の高い抗がん剤が日本で未承認なので全医療費が非保険扱いとなるため経済的理由から使えず死に至るという多数の例も、問題の核心は患者不在の医療行政や既得権益固持の医師会が守ろうとしている混合診療禁止制度にあります。たしかに患者や良心的な医師や世論の努力で承認される医療は増えていますが、いかにも小出しですし、保険医療の拡大と混合診療禁止制度の不合理性とは本質的に別問題です。
医師会に見捨てられた患者は危険な民間療法に走る
私はインターネットで医師会の主張を探りました。医師会はウェブサイトにたった15行で混合診療反対の趣旨を述べています。医療は公平、平等でなければならぬ、金持ち優遇の混合診療は容認できないというものです。一つでも非保険治療を受けたら他の保険治療もすべて自費となる今の混合診療禁止制度こそ金持ち優遇なのは幼児でもわかる理屈です。命が助かるなら家屋敷を売っても自費で、それがたとえ未承認でも高度な先進治療を受けたいのが患者や家族の悲願です。しかし今の制度では医療費が巨額になり過ぎてその選択さえできません。仕方なく法外に高く、効果もわからぬ民間療法やサプリメントに走っている現状です。そこにアガリクス事件の史輝出版のような犯罪被害も生じ、多くの助かる命が失われることになるのです。
さらに私は医師会の主張は表向きであり、本音は裏にあると思います。それは混合診療禁止制度を守ることによって、医療技術、医療機関の競争を排除し、どんなレベルの医者、医院も公平、平等に儲けられる現状を維持することです。制度によって医師、患者の医療選択範囲を狭め、高度な先進医療に患者を取られることを阻止することが真の狙いと思います。国民の命を預かる医者側がこのような患者見殺しの意思で貫かれ、これに誰も手を出せないのです。その間にもかけがえのない命が失われています。
特殊な問題ではない
私たち患者は保険医療を拡大せよと主張するのではありません。それはもちろん望ましいのですが、せめて保険医療と非保険医療を併用できるようにしたいだけなのです。医師や難治療患者など一部にしか知られていない、しかしいつでも誰でも当事者になりうるこの混合診療問題を取り上げてください。」
2.違憲主張の根拠
憲法第14条違反
訴訟での私の主張は、いわゆる「混合診療禁止制度」が日本国憲法第14条(法の下の平等)に違反していることの確認を行い、厚生労働省による制度の執行をやめさせたいことである。
本来、健康保険法に基づく治療費の現物給付は国民皆保険という国家理念の下、保険料を納付している全国民が受益されるべきものである。しかるに一つでも非保険治療を受けるというだけでこれを制限、禁止するという現制度は、法の下の平等を定めた憲法第14条に違反している。
平成元年の判例はひっ迫する保険財政を考慮したものであるが、それは混合診療とは別問題であり、法の下の平等という憲法の基本理念を制約するほどのものではない。保険財政の問題は憲法に違反しない別の方法で解決すべきである。
また混合診療禁止と表裏一体をなしている特定療養費制度が保険医の行う医療の患者への安全性を担保しているという側面についても、安全性の担保は憲法に違反しない別の方法を講じるべきである。
混合診療解禁の提訴は、今後もほとんどないと思われる。混合診療を必要とする重病・難病患者は提訴により、混合診療を受けているという事実が公開されることをなにより恐れるからである。公開されれば巨額の自己負担が生じるだけでなく、私のように制度違反を楯に必須の治療も廃止されるからである。
混合診療のどこが不法なのか
法の下の平等といっても、単純でないことはわかっている。例えば犯罪者には憲法で保障された自由はない。では非保険の治療を自費で受けることは犯罪を冒すことと同じなのか。誰かを傷つけたり、困らせたり、税金をカスメ取ったりしているか。車は左側通行というみんなで決めたルールを破ると大勢が迷惑するから検挙されるのは当然だが、非保険治療を受けることも同罪と見なせるか。誰が迷惑するというのか。
このような論理で憲法に保障された権利を奪うことが正当といえるか。しかも犯罪者には黙秘権など様々な権利が与えられ、弁護士まで付くというのに、非保険治療を受けた患者は問答無用で直ちに国民皆保険の権利を剥奪されるのである。
医療が平等でない現実
混合診療は金持ち優遇になるという医師会の論理もおかしい。全部の医療費が自費になる現制度こそ本当の金持ち優遇である。実際、本当の金持ち患者は進んだ高額医療を求めて海外にでかけていく。欧米のみならずインドや東南アジアの一流病院に押しかけている。
国内でも例えばよく知られている差額ベッドはどうなのか。個室が絶対必要という患者もいるだろうが、ほとんどは患者が希望した贅沢である。しかしそれは特定療養費制度で認められているのである。すなわち金持ち優遇を制度が認めているわけである。重病患者がワラをもすがる思いで非保険の高度先進医療を受けることは禁じておいて。(保険治療も全額自費になるというのは禁じているのと同じである)
私は差額ベッドを責める気はない。日本の保険医療制度が二重の基準を使い分けているといいたいのである。医療が平等でない現実がすでにある。医師会の論理は破綻している。むしろなにか別の理由を隠すためのいいがかりとしか思えない。だいたい美辞麗句が連なる正義を掲げた表向きの理由で、人間の自由を奪う制度は裏でその恩恵に浴するグループがいるに決まっている。1930年代のアメリカの禁酒法がその典型である。誰が得したか、マフィアである。
悪徳医の問題
混合診療を解禁すると悪徳医者がはびこるという、主に厚生労働省が用いる論理もいいがかりに近いと思う。交通事故を防ぐために運転免許の更新等規制があるように、規制が必要といいながら医療事故が多発しても医師免許の更新制さえやる気がない厚生労働省に悪徳医者うんぬんをいう資格はない。
第一、医療者性悪説を取るなら、なぜもっと早くレセプトの電子化を強力にすすめないのか。紙のレセプトが架空請求など不法行為を助長し、医療費膨張の原因の一つとなっているのを知りながら今まで放置していたではないか。
確かに混合診療を悪用する医者も現れるかもしれない。しかしデメリットよりメリットの方がはるかに大きいのである。悪徳行為は医師免許剥奪といった厳罰を設けるなど他の方法で防げばいい。
混合診療禁止に憲法を超える理念があるか
普通の病気は保険診療で十分であり、もっと良い治療があったとしても知らなくても、あるいは受けなくてもさほど問題ではない。しかし重篤な病気になったら別である。保険治療で助からないこともある。患者も医者も必死であらゆる治療法を探る。日本で認められていなくても欧米で効果があると聞くと試してみたくなる。このとき、通常の安全性の問題は視界から消える。患者にとっては少しくらい高いリスクでも危機を脱する可能性に賭けたくなるのである。このような患者の意思が異常であるとは思えない。この重篤患者の意思を、保険医の説明と患者の同意があるにもかかわらず、制度で禁ずることに合理性があるのだろうか。
日本国民の健康を支えている国民皆保険制度は立派な国家理念と思う。しかし、それでも他の法律や規則と同様、日本国憲法の下位にある。憲法で保障された法の下の平等や生存権を冒す以上、混合診療禁止制度も廃止されるべきである。
憲法第14条には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない。」と書かれ、第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と書かれている。いわゆる法の下の平等条項と生存権条項である。
張り子の虎による恫喝
小泉改革は毀誉褒貶があるが、国政の官僚支配に風穴を開けたことは確かである。医療制度も厚生労働省と中医協が患者不在のゆがんだものにし、それが日本の医療を覆っている。混合診療禁止制度も規制改革会議が不合理性を衝いているが、平成18年国会に提出された医療改革法案では官僚側の狡知により制度は温存されている。混合診療禁止には基盤法規がなく、過去に違反に対して保険医療費の遡及請求や保険機関の認定取り消しをしたこともなく(法規がないからできない)、しかしながら医者や患者に対する恫喝、萎縮効果には役立っていて、それで十分なのである。張り子の虎であることを知っている医者は、違反しても懲罰はないが、保険当局の指導など真っ平御免なので、抜け道を使って混合診療を行っている。国民の命に直結していながら、これほど公然たるインチキはない。違憲性は明らかである。
インフォームドコンセントによる自己決定
通常の病気なら混合診療など必要ない。保険医療で十分である。明日も知れぬ重病・難病だからこそ混合診療なのである。エビデンスとか保険申請・承認とか待っていられないし、審査は不透明であなたまかせだから。それでは民間療法と大差ないといわれるだろうが、その通り、混合診療は、民間療法の保険医版である。
健康保険法の特定療養費制度などうわべだけの綺麗事である。その影でその制度の対象に認定されない薬や治療を切望する重病・難病の患者たちはやむなく素人の行うインチキ民間療法に走り、大きな被害をこうむっている。それくらいなら認定されようがされまいが、医療の有効性・安全性担保については、保険医との話し合いの下で患者がメリットとリスクを比較して自己決定した方がまだましである。重病・難病の治療にはある程度のリスクはつきものと思う。なんでもお上に任せるからこんな子供じみた医療制度を押しつけられるのである。
3.朝日訴訟
最高裁の判決
重度の肺結核のため国立療養所で闘病生活を送っていた当時44歳の朝日さんは単身、無収入のため生活保護法による医療扶助、生活扶助を受けていたが、生活扶助があまりに低額で憲法の保障する健康で文化的な最低限度の生活水準を維持できないとして昭和32年国(厚生大臣)を訴えたものである。
1審の東京地裁は勝訴、2審の東京高裁は敗訴となったため上告し、昭和44年最高裁は次のような判決を示した。本件は昭和39年の上告人の死亡によって終了した。生活保護の権利は一身専属であるため相続の対象ともなり得ない。さらに最高裁はこの裁判が違憲判断を求めたことに考慮して、生活保護基準の適法性に言及し、東京高裁の判断―何が健康で文化的な最低限度の生活かの認定判断は厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、それが違法とはいえない。また本件の生活扶助認定額が大臣の裁量権の濫用とはいえない―を全面的に支持している。
裁判の意義
新井弁護士は、10年に及ぶ裁判をふり返り、憲法裁判はむなしいかと自問している。貧しい重病患者が憲法で保障された権利をよりどころに国に改善を訴えても、最低限度の生活基準など決められていない、大臣の決めたことに文句をいうなと裁判所は判断した。
だが、朝日訴訟が憲法第25条の生存権の存在意義を知らしめ、裁判では敗けたが行政に強いインパクトを与えたことは確かである。それ以上に不幸で病弱な朝日さんが一身をなげうって、強い国を相手に生存権を求めて闘っている姿に日本国民は打たれた。そして権利は闘うことによって実現され、憲法は国民の武器であることに気づいた。これはむなしくない、大きな成果であると新井氏はいう。
原告の魂の叫び
朝日さんは苦しい中で手記『人間裁判』を書いているが、私が心から感動した箇所がある。「こんな馬鹿なことがあるものか。法律は人間の幸福を破壊するためにあるのか。弱い重病者の、ひかえめな、ささやかな、わずか月400円の栄養補食費さえ認めようとしない。こんなむごい仕打ちにどうして怒らずにおられよう。厚生大臣の却下、低劣な生活保護基準のおしつけは、私にはまさに死を意味していた。法律の名によって迫る無形の暴力、合法的な殺人行為といってもいいすぎではないだろう。憲法第25条は何のためにあるのだろう。私の怒りは私一人だけの怒りではない。多くの貧しい人、低賃金の労働者、失業者、貧農漁村の人、みんな私と同じように怒っているはずだ。
生活と権利を守ることは、口先だけでいくらいっても守れるものではない。闘うよりほかに、私たちは生きる道はないのだ。巌のごとき巨大な国家権力と明日をも知れぬ結核重症患者の闘いは、蟷螂の斧といわれてもしかたのない、無謀といえば、無謀の限りであったかもしれない。でもこのまま引っ込んでは、私の正義感が許さないと思ったのである。
はたから見ればまことに幼稚で粗雑な正義感と思う者もあろう。だが、私は、たとえこのため一つしかない尊い命が失われるとしても、権力者の冷酷無情な扱いを許すことはできない。月600円ではやってゆけない。このままでは、死ぬより他に方法がない。私の主張していることは真実なのである。この真実は誰がなんといおうとも押しつぶすことはできない。真実を守るためには、たとえどんな苦しみがあっても闘わなければならない。必ずいつかはわかってくれるだろう。」
一審判決文の歴史的重要性
私は朝日氏が勝訴した1審の判決文の中で次の点に注目した。「最低限度の生活水準は決して予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである。」これは最低限度の生活水準の認定がその時々の国の予算の配分によって左右さるべきものではないということ、そして政府が逃げ口上の常套句としている「予算のワク」、「財源がない」という口実に厳しい歯止めをかけたものである。
混合診療問題でも必ず出てくる保険財政の危機という口実―この判決文からすると、それは本末転倒なのである。財政危機の現実は混合診療禁止などのような憲法違反の手段ではなく、他の方法で解決すべきなのである。しかも保険財政の危機そして将来の破綻が厚労省により声高に語られるが、その医療費予測の基幹データはきわめてずさんで作為的、始終大幅に変動している。
この判決文が持つ本質的重要性は、社会保障問題の価値が財政問題の価値より高いと言い切ったところにある。社会保障は国民生活の維持・向上という国家の存立目的に密着した問題であり、財政はその目的を達成する手段である。目的は不変だが、手段は動く。─財政問題の解釈や対策は時代と状況、為政者によって左右されるし、本来そういうものである。本件の裁判所はこの現実認識に立ち、憲法に定められた社会保障の原則は普遍的であるとしたのである。
4.提訴する
本人訴訟による快挙
私は、弁護士なしの本人訴訟で、一審を勝訴し、最高裁で敗訴した旭川の杉尾正明さんを思う。名前のキーワードでインターネットから得た情報によれば、杉尾さんは行政裁判が勝てない(金にならない)という理由で弁護士にことごとく受任を断わられたが、働きながら図書館等で勉強し、国民健康保険料の徴収方法の違憲裁判で行政側の大弁護団を相手に一人で闘って勝ったのである。問題の公共性は混合診療禁止に似ていると思う。あの朝日訴訟も一審は勝訴した。大切なのは、訴える人の信念─公共の正義が歪められたままではならないという深い感情であろう。
こうして私は訴状を作ることから始めることになった。
訴 状
〈事件名〉健康保険受給権請求訴訟
〈原告〉清郷 伸人
〈被告〉厚生労働省 厚生労働大臣 川崎 二郎
〈訴状提出日〉平成18年3月24日
〈請求の趣旨〉
健康保険法第44条および第43条に基づく保険医療機関及び保険医療養担当規則(以後、療担規則と称する)に定められている特定療養費制度から導かれると厚生労働省が解釈し、実施している混合診療の一律禁止措置(以後、混合診療禁止制度と称する)の一環として、執行されている健康保険被保険者への健康保険給付の停止を解除し、受給権を認めよ。
〈請求の原因〉
私は健康保険法に定める健康保険被保険者である。国を含む保険者が被保険者に健康保険の給付を行うことについては、厚生労働省が執行と他の保険者への指示命令の権限を持っている。私が厚生労働省にこの請求を行う理由は、下記の通りである。
健康保険の給付停止を含む混合診療禁止制度が、憲法第14条に定める「法の下の平等」条項と第84条に定める「租税法律主義」条項に違反しているからである。違反とする根拠は次の通りである。
まず第14条違反について:混合診療禁止制度とは、健康保険による診療と非保険の自由診療を併用することを禁じたものであるが、厚生労働省が実施しているこの混合診療禁止制度によって、医療者も患者も疾病の治療方法の選択を決定的に狭められている。難病や重病の患者にとって、保険で認められていない医療で病気に有効と医療者も考える治療は数多くある。しかし健康保険法や療担規則によって、保険診療と自由診療の併用が禁止されているため、厚生労働省の認めた特定の医療対象を除いて一つでも自由診療を受けると、他の保険診療も含めた一切の健康保険の給付が止められるという措置をとられることになるのである。
この制度の下で多くの難病や重病の患者は、自由診療を一つでも受けると発生する莫大な医療費の負担を避けるため、有効な治療を選べず、苦痛を強いられ、死に直面し、絶命している。私も転移したがん患者であり、主治医の病院で受けていた数少ない有効な保険治療に代わる非保険治療が廃止になる被害を受けた一人である。そのため現在、がん悪化の危険と不安にさらされている。
国民皆保険の原則そして年金も含めた社会保険の平等の原則から考慮しても、保険料納付の義務を果たしている国民の受給権が非保険治療を受けたというだけの理由で禁じられることは明らかに憲法第14条に違反しているといわざるをえない。
次に第84条違反について:平成元年2月23日の混合診療制度に関する東京地裁の判決文に「混合診療禁止について、法及び療担規則には明文の規定はなく、絶対的なものではない。」と述べられている通り、混合診療禁止制度は法律に裏付けられたものではない。一方、平成18年3月1日、最高裁は、旭川市の健康保険料料率不明記訴訟の判決文において次のように述べている。「国民に義務を課したり、権利を制限するには法律の根拠を要するという原則を厳格に明文化した憲法第84条の規定の趣旨は、租税と類似した性質の他の公課にも及ぶ。…強制加入、徴収の国民健康保険料は賦課、徴収の強制度合いが租税に似ており、同条の趣旨が及ぶ。」
ここで最高裁は、健康保険の受給権の停止はもちろん制限にも法律の根拠を要すると言う判断を示している。したがって法律の根拠のない混合診療禁止制度による健康保険受給権の停止・制限は、憲法第84条に違反するといわざるをえない。
|